ネットワークオーディオとは『音楽再生におけるコントロールのスタイル』である。
すなわち、ネットワークオーディオは例えばネットワークオーディオプレーヤーといった特定の機器に依存するものではない。仮に巷でネットワークオーディオプレーヤーと呼ばれる機器を使っていたからといって、機器本体の貧弱なディスプレイを覗き込んで選曲しているようでは、ネットワークオーディオを実践していることにはならないのである。
逆に、オーディオ業界的にはネットワークオーディオと似て非なるものとして捉えられている(その認識自体がそもそもおかしいのだが)PCオーディオは、まさにコントロールという点においてネットワークオーディオの手法を適用可能である、とも言ってきた。
今回はその辺について書きたい。
そもそも、ネットワークオーディオプレーヤーという製品自体、PCのようなものだ。
いわゆるネットワークオーディオプレーヤーとPCの何が違うかと言えば、結局のところ「オーディオに特化しているか否か」ということに尽きる。機能面で両者の違いなどあってないようなものだ。高い評価を受けているWeissのコレなんかも、いかにもオーディオ然としているが、要はLinuxを積んだオーディオPCである。
そして機器としての特徴を較べるまでもなく、『音源』の存在を考えれば、いわゆるPCオーディオといわゆるネットワークオーディオの立ち位置は限りなく近しい、ということも繰り返し述べてきた。
それなのに、なぜこうも「PCオーディオ vs ネットワークオーディオ」という対立の構図が強調されてしまうのだろうか。
というようなことをあれこれと考えていたら、ある問題に行き着いた。
「PCの置き場所」という問題である。
ネットワークオーディオプレーヤーは、仮にユーザビリティの完成度が絶望的に低かったとしても、間違いなくオーディオ機器として作られている。そこには長年に渡る設計ノウハウと、音質に対するメーカーの矜持が詰め込まれている。音の出るおもちゃなどでは決してない、誇り高きオーディオ機器なのである。
よって、今まで使っていたCDプレーヤーと容易に入れ替えられる。見た目的にも雰囲気的にも音のクオリティ的にも、両者の交換に違和感はない。
さらに重要なことに、ネットワークオーディオらしいコントロールをしなくても、付属のリモコンを使えばとりあえず動かせるし、音も出る。
ただ、PCだとそうはいかない。PCをそのまんま従来のオーディオシステムに接続するとノイズが云々とか、そういうことはこの際どうでもいい。
PCはそれ自体では何もできない。情報を表示するためにはディスプレイが、操作のためにはマウスの類がどうしても必要になる。
PCはオーディオ機器と一緒にラックに置いて、手元にはワイヤレスマウスを持ってきて、画面はラックにでかいディスプレイを置いてどうにかする。アリだろう。しかし、ディスプレイを置けない場合はどうするのか。また、視聴位置とラックが離れれば離れるほどでかいディスプレイが必要になる。当然音へ与える影響も巨大になる。
あるいは、手元にノートPCを持ってきて、USBケーブルをラックに置いたUSB DACまで伸ばす。それもアリだろう。しかし、本気で伸ばしたいだろうか、よりにもよってUSBケーブルを。
ならば、機材全部を近くまで持ってきて手元ですべて完結させる。スピーカーケーブルなら長くなってもそれほど問題ではない。まぁ、持ってこれるなら、それはそれでいいか……
ん? ラックにノートPCを置いて、その場に貼りついて操作する? それで音が出たら急いで椅子に戻る? 何を馬鹿な。オーディオのデモやらイベントやらでオペレーターがオーディエンスに脇や背中を向けてPCを弄っているのはよく見かける光景だが、いちいちそんなことをするくらいなら、素直にCDプレーヤーを使っていたほうが遥かに遥かに遥かにマシである。快適な音楽再生どころか、音源をデジタルファイルとして扱うメリットすら消し飛びかねない。
実質的なUSBオーディオと化しているPCオーディオは、本格的に従来のオーディオシステムに組み込もうと思えば、必然的にこの「PCの置き場所」という問題に直面する。
この「従来のオーディオシステム」というのが肝だ。要はスピーカーをどどんと置いた、伝統的なオーディオのスタイルのことである。
一方で、例えばUSB DACとヘッドホンしか使っていないなど、手が届く範囲や精々机の上で完結する規模のシステムならば、この「置き場所」という問題は生じない。あくまでスピーカーとある程度の空間を前提とする、従来のオーディオシステムと組み合わせる場合において、PCの置き場所は問題になる。
つまるところ、オーディオ部屋にPCの居場所なんて無いのである。繰り返すが、PCを直接オーディオシステムに繋ぐとノイズが~とか、そういうことを言っているのではない。
この「PCの置き場所」という問題に端を発する、「PCオーディオは従来のオーディオのスタイルとは相容れない」という意識こそ、「PCオーディオ vs ネットワークオーディオ」という対立構造の根っこにあるものではなかろうか。
ネットワークオーディオプレーヤーは、「音楽再生に特化したPC」という本質を「便利なオーディオ機器」という売り文句で塗り隠すことで、スムーズに従来のオーディオスタイルの中に入り込んだ。そして入り込んだ次の瞬間には化けの皮が剥がれて悲惨な展開が待っていたわけだが、それはまた別の話。
いわゆるネットワークオーディオを推進する層は、PCオーディオを「音楽を聴くためにいちいちPCと向き合わなければならない」手法として捉えた。そして、「ネットワークオーディオは超快適で、しかもPCは不要」と喧伝し、対立の構図を作り出した。いわゆるネットワークオーディオにおいても、どのみちPCは絶対に必要になるにもかかわらず。
他方、PCオーディオ……PCと再生ソフトとUSB DACは、ハイレゾ音源への対応で最先端を走るなど、オーディオ業界と製品ジャンルの主役にはなれたかもしれないが、真の意味でオーディオの主役にはなり切れていない感がある。「PCの置き場所」という問題が暗い影を落としていることは想像に難くない。
いわゆるPCオーディオを推進する層は、いわゆるネットワークオーディオを推進する層が作り出した「PCオーディオ vs ネットワークオーディオ」という構図に対し、むしろそれを鮮明にする姿勢で応えた。
ほとんどのネットワークオーディオプレーヤーがハイレゾ音源への対応やユーザビリティにおいて、PCの再生ソフト+USB DACの組み合わせに劣っていることは事実である。最近はだいぶマシになってきたとはいえ、未だに事実である。そしていわゆるPCオーディオを推進する層は、その事実を踏まえ、現にネットワークオーディオプレーヤーとは比べ物にならないほど強力なPCの処理能力を、PCオーディオの強みとして徹底的に利用した。
こうして、「最先端のオーディオをやりたければPCオーディオこそが相応しい」というスローガンが出来上がった。PCの置き場所という問題、PCオーディオを従来のオーディオシステムにどう融合させるのかという問題は相変わらず置き去りにされたまま、ひたすら終わりのないスペック追求が繰り広げられるようになった。よくよく考えてみれば、昨今のクソ忌々しいハイレゾ礼賛が生じた原因の一端はこの辺にあるのかもしれない。
そんなこんなで、「PCオーディオ vs ネットワークオーディオ」という対立の構図は今なお続いている。
そして白状しなければならない。私自身、割と長いことこのイメージに毒されていた。
快適さを身上とするネットワークオーディオに力を入れてきたこともあり、PCオーディオはネットワークオーディオと対立するものだ、と考えていたのは確かである。「PCオーディオって音楽を聴く時にPCと向き合わなくちゃいけないんでしょ? ながら聴きをするならともかく、何が悲しくて音楽を聴くためにいちいちPCの電源を入れてマウスをカチカチやらなくちゃいけないの?」という風に。
しかし幸いなことに、このブログを立ち上げようと思った頃には、既にそんな思考から脱却することができていた。いわゆるPCオーディオにせよ、ネットワークオーディオにせよ、「デジタルファイルとしての音源」の存在を考えれば、限りなく近しい立ち位置にあると思い至ったからである。そして何より、PCオーディオのコントロールという点にネットワークオーディオの手法を適用することで、両者の対立の遠因となった「PCの置き場所」という問題を解決できるとわかったことが大きい。
PCと、再生ソフトと、USB DAC。
この三点セットはオーディオシステムにおけるプレーヤー、再生機器に他ならない。大切なのは個々の存在ではなく総体としての「役割」である。
ならば、あとはスマホあるいはタブレットを用いて、ネットワーク越しに再生機器からコントロールを独立させればいい。そうすれば、もうディスプレイやらマウスやらを用意する必要はなくなる。この時のPCとUSB DACはまさに再生機器以外の何ものでもないので、設置の自由度は著しく向上する。もはやUSBケーブルの長さを気に病むこともない。
こうして、ネットワークオーディオの手法を適用することによって、PCオーディオは真に従来のオーディオスタイルとの融合を果たす。
これは夢などではなく、既に実現している。
PCオーディオとネットワークオーディオをいちいち対立させ、両者の違いをあれこれと騒ぎ立てる必要などないのである。
オーディオ業界で使われているPCオーディオやネットワークオーディオなんて言葉は、所詮USB DACやネットワークオーディオプレーヤーといった製品ジャンルを意味しているに過ぎない。
ASIOだのWASAPIだの、オーディオ用LANケーブルだのハブだの、そんなものは製品ジャンルに付随する使いこなしの要素でしかない。
製品ジャンルとしてのPCオーディオもネットワークオーディオも、「デジタルファイルとして音源を管理運用し、再生する」という大きな領域――この領域を表す言葉は色々とあって未だに一致を見ない――の、ほんの一部分でしかないのだ。
そしてもちろん、その「ほんの一部分」ですら、突き詰めようと思えば果てしない広大さと途方もない奥深さを秘めている。そうだからこそ、オーディオは面白い。
DELAの登場とそれに続く機能拡張により、「USB DACもネットワークの恩恵が受けられる」との認識が一気に広まった。それ自体は喜ばしいことだ。しかし一方で、それを伝えるメディアの記事は大抵の場合、従来トランスポートの役割を担っていたPCの存在を貶めるような言説がセットになっているように見受けられる。「PCと繋ぐより圧倒的に音がいい!」とか何とかね。
そうかと思えば、前述したWeiss MAN301のことをPCだと言って批判する人は見たことがない。MAN301の音質は激賞され、むしろネットワークオーディオの文脈において高く評価されている。
ま、オーディオ業界なんて所詮こんなもんだ。
あれこれと区別を気にしたところでいいことは何もない。
そんなことを気にする暇があったら、まずは音源に愛情を注いで、自分にとって理想のライブラリを作ろう。すべてはそこからだ。
さて、ここまで書いてきたことをヤケクソ気味な図にまとめると、こういうことになる。
手法を適用なんて言うまでもなく、本来PCオーディオとネットワークオーディオの領域の大部分は重なり合っている。
そして私は、この『コントロール』こそネットワークオーディオの本質だと考えている。
いわゆる製品ジャンルとしてのネットワークオーディオではなく、あくまでネットワークの仕組みを活用する『コントロールのスタイル』としてのネットワークオーディオである。
この認識が理解を得られるかどうかはわからないが。
なお、ネットワーク越しに再生機器からコントロールを独立させるために肝心のコントロールアプリも、PCの再生ソフト用のものがそれなりに存在している。
最初からコントロールアプリの存在が念頭に置かれているネットワークオーディオプレーヤーに比べれば、まだまだアプリの絶対数は少なく感じるものの、居ながらにしてすべてを見、すべてを操ることで得られる、音楽再生における筆舌に尽くしがたい快適さという理想は現時点でじゅうぶんに実現可能である。
PCオーディオはもっと自由になれる。
もうネットワークオーディオと対立するのはやめよう。
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