2023年6月28日にリリースされたKOKIAの最新曲『白いノートブック』。
『白いノートブック』は、Audio Renaissanceの管理人・逆木が企画段階から制作にかかわって誕生した。
この記事では、『白いノートブック』という楽曲がどのような発想のもとで、どのような過程を経て誕生したのか、「KOKIAのファン(ないし純粋な音楽ファン)」「オーディオファン」という二つの視点から紹介する。
目次
はじまり
私が動画での発信と同時に「空気録音」と呼ばれる手法を始めたのはおよそ3年半前。
空気録音には当然ながら音源が必要となる。それを始めるにあたり、とにかく「絶対に権利侵害はするまい」という意識で、JASRACのHPをはじめ様々な情報を確認し、楽曲の動画利用における権利関係の把握に努めた。
ただし、空気録音を収録した動画を公開するためには、使う音源の権利関係が問題となります。具体的には、音源の「著作権」と「著作隣接権(原盤権)」の両方をクリアする必要があります。
一例として、JASRAC管理楽曲を使った動画をYouTubeにアップする場合、「著作権」についてはJASRACとYouTube(Google)が包括的な利用許諾契約を締結しているので、利用者の側で個別に手続きをする必要はありません。しかし、JASRACは「原盤権」については管理していないため、原則として、利用者は個別に原盤権者(主にレコード会社)から許諾を取る必要があります。
という至極当然の原則をあらためて理解するとともに、色々と調べる過程で「Artlist」というサービスを知り、当面はその音源を使うことにした。オーディオの文脈で、特に試聴曲として使う以上、楽曲には少なからず音質的な要素も求められる。その点、Artlistは「ロスレスの」音源を利用可能であり、私の中で真っ先に求められる条件をクリアできていた。
その後はArtlistの音源を中心に、他にもアーティストから個人的に許諾を得た音源を空気録音に使用してきた。一方、空気録音を続けるなかで、「リファレンス音源としての音質的な要素を自分自身で完璧に把握」し、なおかつ「自分以外のオーディオファンも権利関係の心配をすることなく使える」、そんな音源の存在の必要性も徐々に感じるようになった。
私ひとりが空気録音に使える音源があっても、「空気録音という文化」全体に対する影響は微々たるもの。音楽に最大限の敬意を払い、まっとうに権利関係を尊重する人ほど使う音源に苦慮するという状況に風穴を開けるためには、音質的な要素は当然として、権利関係が明確に解決されると同時に、使うにあたって可能な限り手続きの類が省かれていることも不可欠だ。
そのような音源がないなら、新しく作ればいい、という発想に到るのは時間の問題だった。
そしてもちろん、やるなら本気でやる。
長きに渡る検討と「そもそもこういうコンセプトの楽曲制作なんて可能なのか?」という懸念、紆余曲折を経た2022年末頃、私はある決心を固めた。「私自身いちファンとして最も敬愛しているアーティストであるKOKIAに話を持ち掛けてみよう」と。
正直に言って、駄目で元々だった。畏れ多い、という自覚もあった。なにかしらのレスポンスは期待していたが、あくまでも淡い期待でしかなかった。
KOKIAから返事が来た。
「とても興味深い企画なので、前向きに検討しましょう」と。
かくして、私にとって夢のような時間が幕を開けた。
楽曲のコンセプト
■「歌もの」であること
多くの人に好まれる楽曲というのはやはり「歌」であると思います。
■オーディオ云々の前に、純粋に楽しめる曲であること
「音がいいね」の前に、「いい曲だね」という感想が出てきてほしいと願っています。
■オーディオの試聴音源として好適な音質/曲調であること
「音の良さ」と「曲の良さ」はイコールではありませんが、オーディオの試聴音源として使う以上、収録から最終的なミックス/マスタリングに到るまで音質的にも高いレベルが必要です。
また、音の良し悪しをストレートに伝えるために、生録音・アコースティック楽器主体の構成が好ましいと思われます。
■録音と制作をハイレゾで行うこと
ハイレゾであることは高音質であることを必ずしも担保しませんが、近年のオーディオの潮流を踏まえると、ハイレゾでの録音と制作は欠かせない要素となります。また、後述するハイレゾ音源でのリリースにも必要です。
スペックについての指定は特にありませんが、Amazon MusicやApple Musicで配信可能な上限値が192kHz/24bitであるため、そこに合わせるのがいいのかな、とも思います。
以上が、最初にKOKIAに企画書を送った時点で設定していた楽曲のコンセプト。上二つが「純粋な音楽ファン」としての視点、下二つが「オーディオファン」としての視点に基づいている。
参考楽曲としてKOKIAの曲の中からいくつか(最たるものが『孤独な生きもの』)と、その他にCorrinne May『Angel in Disguise』とRadka Toneff『The Moon Is A Harsh Mistress』を挙げた。
その後、曲の雰囲気についてやりとりするなかで、「雪国の朝」というキーワードも提示した。
権利関係について
空気録音に利用可能/「空気録音を収録した動画での利用」が可能ということもまた、最初からこちらから提示したコンセプトの中に含まれていた。
具体的な権利の所在や実務上の楽曲の扱い等については、私自身が音楽業界全般に疎いこともあり、話を進める過程で多方面に多くのご迷惑をおかけすることになってしまったが、幸いにして「空気録音に使います、広くオーディオファンに利用を許諾します」という点については最初から理解が得られていた。
最終的に、楽曲の著作権はアーティストであるKOKIA、原盤権は逆木がそれぞれ保有し、両者の合意のうえで、「空気録音を収録した動画での利用」を許諾するという形となった。
一例として、市販の音源を使った空気録音をYouTubeにアップしようと思った時、YouTubeはJASRACと包括契約を結んでいるため、JASRAC管理楽曲であれば著作権については最初からクリアされている。仕組み上、あとは著作隣接権(原盤権)をクリアしてしまえば(もちろんそのためにはレコード会社等から個別に許諾を得る必要がある)、アーティストとのやり取りを経ることなく音源を使える、という話ではある。
それに対して今回の企画では、そこからさらに踏み込んで、最初の段階から音源の利用に関してアーティスト本人との意思疎通を図り、合意を得たという点で、画期を成したと思っている。
また、完成した楽曲はAudio Renaissanceのテーマ曲的な扱いではなく、KOKIAの新曲として、ビクターエンタテインメントからリリースされることも決まった。当然ながら、オリジナルフォーマットのハイレゾ音源での配信である。
※空気録音での利用についてはこちらをご覧ください。
実際の制作にあたって
KOKIAと私でコンセプトを共有し、楽曲の原型が生まれ、やがて『白いノートブック』としてまとまっていく過程は、本当にファンとして冥利に尽きる時間だった。
オーディオ的な視点からの要請としては、「楽曲の制作工程をすべて把握したい」という想いがあり、可能であればレコーディング・ミックス・マスタリングの現場に同席したい、エンジニアの方からもコメントをいただきたいとの意向も当初から伝えていた。
そうすることで、「この曲ってどうやって作られたの?」というテクニカルな部分に関して企画者として責任を持てるし、「ハイレゾ音源は“本当にハイレゾで”作られているのか……?」というオーディオファンの疑念に対する回答にもなる。ちなみに、「楽曲の制作過程をドキュメンタリー的な形で公開したい」という話も最初からしていた。制作過程を追い、それを明らかにすることが、オーディオ的に最も真摯な姿勢だと考えたからだ。
なお、具体的な音源制作時のスペック(例えば96kHz/24bitで作ってくださいとかDSD256で作ってくださいとか)や「こんな音作りで」といった提示はこちらからは行わず、可能な限りアーティストやエンジニアの意向を尊重する方針とした。出来上がった音源をリスナーが聴いてその音に好き嫌いが生じたとしても、私自身が制作工程をすべて把握していれば、「これが制作者の意図した音です」と胸を張って答えることができる。
こうして『白いノートブック』の制作は進行し、「音質にこだわる」という前提とKOKIA自身の経験を踏まえて、レコーディング・ミックス・マスタリングの全工程をビクタースタジオで行うことになった。
また、レコーディングとミックスは192kHz/32bit floatで行い、最終的なマスターは192kHz/24bitで制作することに決まった。
以前、Nicogi『イキルチカラ』のレコーディング現場に同席したことはあったが、スタジオの制作現場に同席するというのは私にとって初の体験となる。私が今後オーディオの世界で活動を続けていくうえでも、とてつもなく大きな糧になるだろうとの確信があった。
レコーディング
2023年3月30日、ビクタースタジオ「Studio 302」で『白いノートブック』のレコーディングを行った。
最初は同時録音をして全員でそれを聴き、それを踏まえてまた同時録音をしてそれを聴いて……を繰り返し、その後各パートのテイクを重ねるという流れでレコーディングは進行した。
こういう時に録音現場の機微を表現し得ない、自分の音楽的素養の無さに我ながら悲しくなるのだが、デモ音源の段階で何度も何度も何度も何度も聴いてきた『白いノートブック』が、各パートが生楽器の演奏になり、さらにテイクを重ねるたびに別物のごとく表情を変えていく様は、現場に居合わせて身が打ち震える思いだった。
オーディオという趣味に打ち込んできた身として、音楽を「聴く」ことに関して言えば、人一倍意識し、こだわり、情熱を向けてきた自覚がある。それはそれとして大事にしつつも、オーディオ的な視点だけで一方的に音楽を云々するというのはいかがなものか、という前々から抱いてきた感情を、今回の経験を通じてあらためて強くした。
なお、モニタールームにはGENELECのラージモニターが壁付けされているが、当日はそれを使わず、基本的にGENELECの「8341A」が使用されていた。結構な音量だったこともあり、低域も含めて帯域的に不足するところは一切なく、切れば血が出るような生々しい音で演奏を捉えていた。
中断を挟みながら、レコーディングは深夜まで続いた。この日の機微は到底私に書き尽くせるものではないが、私にとってとてつもなく貴重な体験になったと同時に、最終的な音源の仕上がりに限りない確信を抱いたことだけははっきりと言える。
ミックス
2023年4月17日、ビクタースタジオ「Studio 202」で『白いノートブック』のミックス作業を行った。
といいつつ、当日はエンジニアの林氏が前もって完成させたミックスを確認する際に同席するという形。
「これはオーディオの試聴音源として使う曲です」と最初期から伝えていた甲斐もあってか、「すぐ家に持ち帰って自分のシステムで聴いてみたい」と思える、「ステレオであることの意味」が明快に感じられるミックスであり、私から意見を出したのはとある一点のみ。
レコーディング当日に味わった「生」の感覚を最大限保ちながら、ミックスによってボーカルと各楽器がステージ上で音を奏でるイメージが見事に醸成されており、音楽ファンとしてもオーディオファンとしても、もちろんKOKIAのファンとしても、心から満足のいくものだった。
お約束として、ミックスの確認は「ある程度一般的な再生環境」を想定して、ビクターのウッドコーンコンポでも行った。
レコーディング&ミキシングエンジニア・林 憲一 氏より
――『白いノートブック』のレコーディングの方向性/意図/狙いについて教えてください。
小編成 生楽器中心のオケに包まれてKOKIA の歌声が伸びやかに響く…そんな音像をイメージし、KOKIA さん及びミュージシャンの方々が気持ちよく演奏出来るような環境作りに勤めました。
――今回の企画は「音質にこだわる」ということで、制作も最初からハイレゾで行うことが前提でしたが、実際のレコーディングやミックスを行ううえで、特に気を付ける点などはありますか?
ハイレゾ=高音質なのかどうかはわかりませんが、Digital 録音に於いて音源が持つ情報をより多く記録しようとするならば、サンプリング周波数を上げ、ビット数も増やすのは手段の一つであるとは思います。
今回は192kHz 32bit float というフォーマットで録音、Mix を行ったわけですが、先ずはそれが正しく、ストレスなく動く環境…PC やDAW のスペック、能力が充分である状況を用意する事に気をつけました。
――レコーディング時のスペックを教えてください。
192kHz 32bit float です。
――モニタースピーカーにGENELECの8341A を使用する理由を教えてください。
帯域バランス、位相、入出力パワーetc…どれを取ってもかなりレベルの高いスピーカーだと思います。
音の立ち上がりが速い音源に追従するそのスピード感は、レコーディング・エンジニアである私が仕事をする上でもはや必要不可欠な要素であり、他のスピーカーだとやや物足りない印象を受けます。
また、取り回しの良いサイズですので様々な現場に持ち込むことが出来、音響補正ソフトGLM のお陰でルーム・アコースティックの影響を出来るだけ抑えた形でモニタリング出来るのも大きな利点です。
また私自身、エンジニアという仕事を始めた頃からGENELEC を聴いて育っているので、自分の中でもっとも分かりやすいスピーカーであるというのも大きいと思います。
――ミックスの方向性/意図/狙いについて教えてください。
録音時、演者の皆さんが紡いだ音楽、あの時スタジオで全員が聴いていたあの音像をできる限りそのままリスナーの皆さんに届けられたら…という所を目指してMix しました。
――ミックス時のスペックを教えてください。
Pro Tools (2023.03)HDX2 のシステムを使用し、全てPro Tools 内でMix しました。
――ミックスに使用した機材を教えてください。
モニター・スピーカーは
GENELEC 1035(Large)
GENELEC 8341A(Near Field)
JVC EX-HR 10000(ミニコンポ)
Pro Tools 内で192kHz に対応している各種プラグイン
(AVID、waves、FabFilter、Plugin Alliance、Softube etc…)
――リスナーに向けてメッセージがあれば、ぜひお願いします。
メンバー全員が同時に演奏している躍動感、緊張感、息遣いなどを感じつつ、この素晴らしい楽曲を楽しんで頂ければ幸いです。
マスタリング
ミックスの翌日、2023年4月18日にビクタースタジオ「FLAIR」でマスタリングを行った。
マスタリングもミックスと同様の形で、エンジニアの川﨑氏が前もって仕上げたものを確認する際に同席した。
個人的に、マスタリングには結構な緊張感をもって臨んだ。というのも、正直なところ、昨日聴いた素敵なミックスが、いわゆる“売れ線”を狙ったコンプかかりまくりの音に変貌しているのではないか……という懸念があったからだ。
こういうことを書くと、音楽制作にかかわる皆様からすればたいへん失礼だと思われるかもしれないが、オーディオファンならば言わんとするところを理解してくれるはずだ。
しかし、幸いにして、この懸念は杞憂に終わった。
川﨑氏によれば、ミックスの段階で完成度が高かったおかげで、それほど大きな補正を必要とせずに仕上げられたとのこと。それでも当然のようにマスタリングの前後ではだいぶ印象が異なり、最たるものとしてはKOKIAのボーカルがより実体感を持って浮かび上がる。ダイナミックレンジもしっかりと維持されたままだ。
何度もマスタリングの有り・無しを聴き、川﨑氏からマスタリングの方向性について話を聞き、ミックスの時と同様にビクターのウッドコーンコンポでも確認。
「アーティストとエンジニアが納得しているなら、私から言うことは何もありません」と伝え、192kHz/24bitのマスターファイルが書き出され、『白いノートブック』の制作は完結した。
……ちなみに作業終了後、川﨑氏からは「もっとコンプかかると思ったでしょ?」と言われた。そりゃあもう……「さすがにその時は口を出してました」と答えました。
マスタリングエンジニア・川﨑 洋 氏より
――『白いノートブック』のマスタリングの方向性/意図/狙いについて教えてください。
A・KOKIAが伝わるように。
A・カッコよく!
――今回の企画は「オーディオの試聴音源として使う」「音質にこだわる」というテーマがあり、制作も最初からハイレゾで行うことが前提でした。このような企画意図が、実際のマスタリングを行ううえで、影響を与えることはありましたか?
A・ハイレゾだからといって特に影響はありません。
ただアウトボードのエフェクターが存在しないのでいつものアプローチでは出来ません。
――今回の最終的なマスターのスペックは192kHz/24bitとなりましたが、このように高いスペックで音源を制作する際、音質的にどのようなメリットがあると考えられますか?
A・より自然界の状況に近い器(フォーマットが)になる。
但し、良い録音、良いミックス、良いマスタリングで最高に生かされると思っています。
――マスタリングに使用した機材を教えてください。
A・Sontec MES-432B(アナログEQ)
――モニタースピーカーにGENELECのスピーカーを使用する理由を教えてください。
A・20数年前スタジオ改装時にオーディオ的、音楽的にも一番良かった。
今でもメンテナンスしながら最高の音質を出し続けています。
――リスナーに向けてメッセージがあれば、ぜひお願いします。
A・KOKIAの声が聞こえてくるはずです。
A・楽器の動きが伝わると思います。
KOKIAより 『白いノートブック』に寄せて
こんにちはKOKIAです。久しぶりに、私の曲には珍しい、なんとも清々しい曲がうまれました。
楽曲の依頼をいただいた時、「雪国の朝」というキーワードをいただきました。
その言葉を聞いて私が連想した音の景色は「澄み渡る空気、青い空、頭まで突き抜けるような冷たい空気が私に元気をくれる」そんな風景でした。
ちょうど楽曲制作の時期、春に来るデビュー25周年という節目を見据え、これまでの歩みを振り返り、これからの歩みを考えていた時期でもあったので、どこか自分への労いとエールのような雰囲気を携えた曲になりました。
書いては消して、書いては書き直し、とにかく、白いノートブックの上に自分の思い描く人生をやりたい事を書いては、実現してきました。
その想いはそのまま歌になり、過去の作品を聴くことで自ら励まされることも少なくありません。
高音質で録音され、販売される企画だという事を踏まえ、音のレンジや声色の違いを楽しんでいただける曲になったらいいなと思い、頭に浮かんだのは過去に何度もご一緒している浦さんのアレンジでした。
浦さんのアレンジは繊細で、「勢いと支えがあるのに、決して玉になっていない。」このフレーズでイメージが伝わるでしょうか?
私の歌にはこの支えがあり、空間(空気感)が残されている。という音作りがとても重要で、今回はその力強さと繊細さ(クリアさ)を感じてもらえる楽曲にしたいなと思いながら作っていました。
誰もがもっている真っ白なノートブックの上、自分の人生をデザインできるのは自分だけなのだと、この歌を通して伝えたいと思いました。
『白いノートブック』 スタッフクレジット
『白いノートブック』
・作詞・作曲:KOKIA
・アレンジ&鍵盤:浦 清英(Kiyohide Ura)
・パーカッション:高橋結子(Yuko Takahashi)
・ギター:小金坂栄造(Eizo Koganezaka)
・ベース:佐藤“ハチ”恭彦(Yasuhiko Hachi Sato)
・ストリングス:室屋光一郎ストリングス(Muroya Koichiro Strings)
・チェロ:水野由紀(Yuki Mizuno)
・レコーディング&ミックス:林 憲一
・マスタリング:川﨑 洋
オーディオ的な視点から
(私を含めて)オーディオファンは「ハイレゾ」を大切にする。昨今の音源がCD以上のスペックで制作されることが当然であるならば、「最初に作られたそのままの姿で音楽を聴きたい」(マスターに近ければ近いほどきっと音も良いだろう)という希望があるからだ。
しかし、「ハイレゾ音源であること」は、「CDに比べればマスターに近い」ことは意味しても、「高音質であること」は決して保証しない。
楽曲やマスターそれ自体の品質が大前提であり、ハイレゾというスペックはあくまでもそうした音源本来の品質を受け止めるための「器」に過ぎない。
と、こんな風に私はハイレゾというものを解釈してきたわけだが、他ならぬエンジニアの方々と話をするなかで、こうした考え方が制作側にも共有されていることを確認できた。まずもってそのことが嬉しい。
制作にあたって、私はオーディオ的な視点から「音質音質……」「ハイレゾハイレゾ……」と(鬱陶しく思われるであろうことを承知で)念を押す必要があったことは確かだ。ただ、それは決して単純なオーディオマニア的な発想ではなく、あくまでもアーティストやエンジニアの方向性を最大限尊重したうえでのこだわりだということは、制作を通じて共有できたと考えている。特にエンジニアの林氏と川﨑氏の両氏とは、オーディオの世界と音楽制作の現場を横断して様々な話をすることができ、極めて貴重な経験となった。
それこそ、「なるほど逆木が散々言っていたオーディオ云々とはこういうことだったのか」と、最終的にはKOKIAを含む制作者側にも感じてもらえたという手応えがあった。
こうして完成した『白いノートブック』は、結果的にオーディオ的にも実に面白い音源に仕上がったと自負している。
さて、この場で『白いノートブック』のオーディオ的な要素の私なりの分析・解釈を書こうとも思ったのだが、アーティストやエンジニア本人のコメントがある以上、今さら私が何かを付け加える必要もないなと思い直した。
とにかく聴いてもらえれば、なるほどと思ってもらえるはず。そして、『白いノートブック』が望まない理由で横槍を入れられることなく、真にアーティストやエンジニアが意図した音そのものに仕上がっているということは、レコーディング・ミックス・マスタリングのすべての現場に同席した私が保証する。
最後に
一応企画者という立場ではあるものの、オーディオ業界はともかく音楽業界では門外漢な私は、クリエイティブな部分にどこまで介入してよいものなのか、そもそも介入すべきではないのか、常に自分の立ち位置に苦悩し続けた。
ラインを見誤って出しゃばった真似をして、企画そのものがご破算になってしまえばショックは計り知れず、かといって、特にオーディオ的な視点からはシビアに臨まなければいけない部分も多々あり、内心はずっと薄氷を踏む思いだった。実際に私自身の認識不足により、関係者にご迷惑をおかけしてしまったことも一度や二度ではない。
それでも、根本的な部分で私はアーティストや関係者の皆様に深く敬意を抱いていたし、結果的にそれが企画の成就に繋がった、とも思う。アーティストや関係者の皆様にはどれだけ感謝してもしきれない。
今から18年前、初めてKOKIAの歌と出会って衝撃を受けたあの日の私に「いずれKOKIAと一緒に曲を作るよ」と言ったら、はたして信じてくれるだろうか。
私にとって長い旅路の果てに誕生した『白いノートブック』は、オーディオ的な云々はさておいて、KOKIAファンや一般の音楽ファンに純粋に楽しんでほしい。そのうえで、オーディオ的な意味で音源の良さが伝わってほしいし、「空気録音に利用可能」という形で、オーディオ文化の発展にも寄与してほしい。さらに言えば、『白いノートブック』を通じてKOKIAファンや音楽ファンが「好きな音楽をもっといい音で聴きたい」と思ってくれたなら、どれほど喜ばしいことか。
動画での発信を始めると同時に、私は「オーディオビジュアル・プレゼンター」を名乗るようになったが、『白いノートブック』は私からオーディオの世界への、文字通りのプレゼントである。こんなことを言うのはなんとも仰々しく、また気恥ずかしくもあるのだが、紛れもない本心だ。
『白いノートブック』で、私のひとつの夢が叶った。そして、それもまた、夢の途中。