ネットワークオーディオの実践に必ずしも単体プレーヤーは必要ではない
ネットワークオーディオの本質は『コントロール』である。
ネットワークオーディオとは、音源の管理からライブラリの構築までトータルに内包する「音楽再生におけるコントロールの方法論」である。
音源なくしてネットワークオーディオは成立しない。
ネットワークオーディオをネットワークオーディオたらしめるものは「ネットワークを活用したコントロールのスタイル」である。
よって、ネットワークオーディオの実践は「再生機器に何を使うか」に依存しない。
もちろん、使用するソフトやプロトコルといったものにも制限されない。
「PC・再生ソフト・DACとコントロールアプリの組み合わせ」でもネットワークオーディオは実践可能で、逆に「単体ネットワークオーディオプレーヤーを再生機器に使うこと」は必ずしもネットワークオーディオの実践を意味しない。
ネットワークオーディオの本懐は「快適な音楽再生」(※)である。
個々の技術はあくまで技術であって、真に大切なのは結果として実現されるユーザー・エクスペリエンスと、そのクオリティに他ならない。
そして、ネットワークオーディオがもたらす究極的なメリットとは、「居ながらにしてすべてを見、すべてを操ることで得られる、音楽再生における筆舌に尽くしがたい快適さ」である。
(※)ネットワークオーディオが提供するのは、あくまで「音楽を再生する・聴く」という行為そのものにおける快適さである。実際に音楽を聴く環境が快適が否か、また再生品質がオーディオ的に上質か否かは別問題。この辺りを混同してはいけない。
仮にある製品で、LANケーブルで音声データを受け取って再生することが相対的に高音質だったとしても、それは単に個々の製品における結果に過ぎない。
さて、ここでRoonが登場する。
一昔、いや、二昔前ならいざ知らず、PCの介在や、音源のデータを伝送するのがUSBケーブルかLANケーブルか、という部分にのみ着目してネットワークオーディオか否かを論ずることはもはや無意味だ。
未だ色濃いその幻想を、RoonとRoon Readyが晴らしつつある。
Roonは出力先がUSB DACでも、Roon Readyの単体ネットワークオーディオプレーヤーでも、音楽を聴く際のユーザビリティは完全に同一である。内部の動作は違うにせよ、少なくともユーザーがそれを意識する必要はまったくない。
PCにRoonをインストールして、PCのRoonからUSB DACを使って再生する。ちなみにコントロールはタブレットから行っている。
これは……PCオーディオ?
PCにRoonをインストールして、PCのRoonからRoon Readyプレーヤーにデータを送って再生する。ちなみにコントロールはタブレットから行っている。
これは……どっちだ???
Roon Serverから、Roon Readyプレーヤーにデータを送って再生する。ちなみにコントロールはタブレットから行っている。
これは……ネットワークオーディオ?????
Roon内蔵プレーヤーで再生する。ちなみにコントロールはタブレットから行っている。
これは……???????
Roon Serverから、USB出力を搭載したRoon Readyプレーヤーにデータを送り、USB DACに繋いで再生する。ちなみにコントロールはタブレットから行っている。
これは……???????????????
旧い幻想に囚われたままでは、Roonの真価を理解することはできない。
やっていることは全部同じ。ただ使っている機器が違うだけ。
これらはすべて、私が言うところの『ネットワークオーディオ』に他ならない。
私が言い続けてきた「ネットワークオーディオとは音楽再生におけるコントロールの方法論である」という理念を、Roonはこれ以上ないレベルで体現している。
Roonは極めて強力なライブラリ機能を持つ「総合音楽鑑賞ソフト」である。
そして極めて強力なライブラリ機能を持っているからこそ、Roonは極めて強力な「ネットワークオーディオのプラットフォーム」にもなり得る。
「音楽の海」がもたらす未曽有の音楽体験と、USBとLANの垣根を越えた同一のユーザビリティ。さらに、この二つの融合。
「総合音楽鑑賞ソフト」としてだけでなく、「ネットワークオーディオのプラットフォーム」としても、Roonは新たな地平をユーザーに示しているのである。
使う側が真剣に考えているかどうかは別として、「PCオーディオ」「USBオーディオ」「ネットワークオーディオ」といった言葉はこれからも使われ続けるだろう。別にそれ自体は問題ではない。これらの単語は既にオーディオ業界の中で慣習・伝統になっているうえ、製品ジャンルや接続スタイルを言い表すのに都合がいいことも確かだからだ。さすがに「ネットワークベースのPCオーディオ」なんて単語はどうかと思うが。
ただ、せめて当ブログの読者の皆様には、乱立する言葉に惑わされることなく、深層に厳然と横たわる本質を捉えてほしいと、そう願うのみである。